あきほ整骨院の本棚から 二冊目
- 一雄 秋穂
- 3月23日
- 読了時間: 5分

「生体の歪みを正す 橋本敬三 論想集」創元社
1995年11月20日第1版4刷発行 橋本敬三
278頁7行目
「人間は感覚し、食し、動き、考え、社交して生きる。それだから、これらがみな円満に調和発達して初めて健康であると言えるはずである。」
アメリカの心理学者アブラハム・マズロー氏が提唱した心理学説の中に「欲求五段階説」というものがあります。これは私たち人間が感じる欲求を5それぞれ生理的欲求、安全の欲求、社会的欲求、承認欲求、自己実現の欲求という段階の階層に分類していて、階層の低いものをクリアして行くことで徐々に階層が上がっていき、最終的に全ての人は自己実現という目標に向かっていくという考え方であるらしい。
二十代の私は当然マズローの事など知るはずもなく、五つの階層など意識することはなかったのですが、どうやら自己実現に対しての欲求だけは驚くほど強かったようで、橋本先生の操体法と出会ってからというもの、「もっと操体法の真髄に触れたい。」「操体法で多くの人たちを救いたい。」などと今考えてみると、中二病真っ只中の思考回路で、そのほかの4段階の欲求をすっ飛ばして福岡から花の都大東京に居を移すことになりました。
まだ社会人2年目で貯金もない、思い立っての退職だから当然退職金など無い。学生時代に私の勉強時間を割いてのアルバイトで購入したオートバイ(ホンダ、スティード400 今思い返すと良いバイクだった・・・)を手放したお金を握りしめて東京へ行くために福岡空港に向かった(当時はスカイメイトというチケットで当日空席があれば一万円くらいで東京行きのチケットがとれていた様な記憶が・・・)時の熱量は今考えると大層暑苦しい青年だったと思います。
東京についても、まだ仕事も決まっていないのに家を借りるあてもなく、ホテルに滞在する余裕などありませんから、当時東京の大学に通っていた小学校中学校時代の同級生の純平くんの下宿にしばらく居候させてもらいながらの東京ライフを始めることが出来ました。京王線飛田給駅の近くのアパートだったので今考えてみると東京と言っても府中市です。言えば福岡とあまり変わらない環境なのですが・・・純平くんその節は本当にお世話になりました。30年も経っていうのも何ですが、ほとんど御礼もできておりませんので、今度実家に戻った際には是非ご連絡をお待ちしております。心より感謝申し上げております。
とりあえずの住所は決まったので次は職探しです。東洋医学の専門誌「医道の日本」の巻末求人欄をみて操体法関連の募集はないかと探していたときに、「カイロプラクティック、アプライドキネシオロジー、指圧、操体法など手技療法を得意とする鍼灸整骨院と」いうことで掲載されていた青井整骨院の広告を見つけて、医道の日本社のある新宿で電話して、これから直ぐに面接ということで東急目黒線西小山駅にあった当時の青井整骨院に面接に向かいました。この時はまさか当日面接することになるとは思わなかったから、デニムにTシャツくらいの軽装だったんじゃないかな。そこで青井徹先生にあうことになりました。
お昼休みの時間に面接のアポイントを取っておりましたが、院に到着した時はまだ診療時間中で「ちょっと奥で待ってて」と奥の休憩室に通されて待っていると、しばらくして診療を終えた青井先生が白衣姿のまま登場しました。「おお、君が秋穂くんかい。何でも博多から来たんだって。ご苦労さんだね。」青井先生は当時まだ41か42くらいだったんじゃないでしょうか。未だにはっきりした年齢を把握していないので多分それくらいです。私が当時知っている柔道整復師(父や叔父)と比べるとうんと若くて爽やかな好青年(失礼!)なことに先ず驚きました。
「秋穂くん、操体法を勉強したいんだって。若いのに変わってるね〜。いいね〜。それじゃ、腕を伸ばして」と唐突に私の右腕を床に水平に伸ばし上から押さえるのです。私は訳もわからず押されまいと抵抗します。(これは後に三角筋という肩の筋肉の筋力テストです。)「じゃあ、次は首を右に向けて」と私の首を右に捻らせて、改めて腕を押さえつけます。先ほどは圧に耐えられていた私の腕が力なくフニャっと下りてしまいます。「ほら力が抜けるだろう。いいかい。わかるかい。」わかるかいと言っても何をやっているか理解できていない私の心中を無視して「次は左に顔を向けてごらん。」と首を左に捻って腕を押すと今度は最初以上にビンビンに力が入るのです。「首が捻れてるんだな。秋穂くん、首痛めたことはないかい?」そう言えば名古屋の専門学校時代、アルバイトがえりに原付スクーターで乗用車に跳ねられた事がありました。ヘルメットが相手のフロントガラスに当たってガラスが割れていたので結構な衝撃でした。(そう言えばこの時の相手の運転手、賠償するからここに電話してと全くつながらない電話番号を渡して逃げてしまった。今考えたら凶悪ひき逃げ犯ですよ。当時柔道やってて受け身も取れたし。怪我もないから良いか。と思った自分自身が可愛そう。今に知識と経験があれば全力で追い込んで行くのに・・・)
「そうかい。それが原因かもしれないね。どうだい、中々面白いだろう。ウチではこんな治療をやっているんだ。じゃあ、よろしく。時間があるならもう少し見ていきなよ。」といってまた午後の診療に戻っていった青井先生。・・・えっ?面接終わり??。・・・って言うか僕の首はこのままで良いの?と言う疑問を残して秋穂家史上最もインパクトのある面接は終わり、こんな素敵な整骨院で東京ライフを始めることになったのでした。
Comments